はねいぬのライフログ

忘れても思い出したい投資の勉強、素敵な本やお酒との出会いを、ライフログとして残しています。

映画ログ #6:機動戦士ガンダム 逆襲のシャア

アマプラが何度も何度も繰り返しおススメしてくれる「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」が6本目の映画鑑賞ログである。
通称「逆シャア」はたぶんもう5回は見ていると思う。
ヤクト・ドーガの美しさにいつも目を引かれて、感想は「ヤクト・ドーガ、カッコいい」以外これまでなかったが、タイトルの「逆襲のシャア」についてを意識して鑑賞してみる。

 

 

鑑賞映画_2025/09/28

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(1988年)

 

 

上映時間

1時間59分

 

 

鑑賞周回数

5回目

*ガンダムシリーズはオルフェンズ以外は大体見ている。

 

 

はねいぬ感想)

映画開始すぐにシャアがサザビーに乗って、アムロが乗るリ・ガズィと交戦中のギュネイが乗るヤクト・ドーガの援護に向かうシーンが始まる。
冒頭で登場するνガンダムも含め、この作品のほとんどのエース機が開始6分で見られるのだな。
ギラ・ドーガジェガンも登場しているし、とても勢いのある開幕である。

カムランさん再登場してるじゃん!
なんだか生きていてくれて嬉しい。

最初はテンションMax. なんだけど、ガンダムは戦争がストーリーの主軸であるから、本当に嫌な奴も出てくるし、嫌な奴だけでなくていい人もたくさん死ぬ。
そして、世界は思ったよりもあまり変わらないと思い知らされる。

「BEYOND THE TIME」とてもいい。

ストーリーもだけど、ビジュアルがとても美しい。
MSやMS戦は何度でも楽しんで観ることができる。

 

苦手だったこと

クェス・パラヤは今回も好きに離れない。
自分勝手で、自分に自信を持っていて、しかも自信を持っても仕方がないほどに見た目が良く戦士としてもNTとしても能力が高い。
彼女は学ぶ時間も、成長する時間もないまま人生を終えるのだから、本人以外は救われないなあ。

被弾したヤクト・ドーガでシャアに会いに行くための、クェスの自分勝手な行動も苦手だが、それを止めない大人たちにも少し疑問を持つ。
クェス自身の高い能力と身勝手さは問題の前提にあるが、大人たちにも見放され見捨てられている感があるし、戦力としてしか扱われていない悲しさを感じた。

多くの者の死があって結構寂しい。
それがガンダムらしさであり戦争なのだろうけど、ケーラの殺され方と、ケーラの死体と対面した後のアストナージのあっけない死亡シーンは、心を痛めるなぁ。
特にアストナージはメカニックだから、死ななそうだと思い込んでいたから、あっという間の突然の死亡シーンに呆然とするんだよね。


考えさせられたこと

シャアとアムロのスーツ姿での取っ組み合いの中で、シャアの「ならば今すぐそれをやってみろ」は、シャアが短絡的になってしまったように感じる。
そうさせてしまったのが、UC0088~UC0093の間なのだろうけど、すぐにでもなんとしても世界と人類を変えたいという気持ち、わからなくはないけど独裁的で孤立している感を感じてしまった。

シャアの演説は短絡的ではあるけど、我慢の限界に達した人や地球連邦が嫌いな人にとっては、魅力的で期待にあふれているのかもしれない。
地球人類を壊滅的に減らせば腐敗した人間や政治家も減らせるけど、地球連邦に加担していない人も減るし、ターゲットも減らせるだけで全滅には至らない。
全滅に至らないのであれば、結局人間は大きく変わらないという可能性に思い至らなかったのだろうか。
それとも自身の能力と影響力にそれほどの自信を持っていたのだろうか。
15年くらい前にギレン・ザビも似たようなことをして失敗しているのに、歴史から学べないほどの人間になってしまったのだろうか。
ジオンの息子も、ザビの息子と同じ道をたどろうとしているようで、なかなか忍びない。

シャアの駆るサザビーアムロが乗るνガンダムとの最終決戦で、ララァについて触れられた時、シャアにとっての復讐はララァを殺されたことだったのでないかと感じた。
ララァを殺したのはアムロだが、ララァを戦場に連れ出し死のきっかけを作ったのはシャアである。

シャアは自分の中の罪悪感は感じつつもアムロを復讐の相手としたように感じた。
これが「逆襲のシャア」の意味だったのかもしれない。
ナナイの反応からシャアの生存の可能性はかなり低そうであるし、アムロの最後の発言からアムロもまた光に飲み込まれたようだったから、シャアにとってララァの仇である2人を葬り目的を果たしたのかもしれないな。