引き続き『ラッセル幸福論(バートランド・ラッセル著、安藤貞雄訳/1991年)』から、忘れたくないことをログに残させて頂く。
”それいけ!アンパンマン”の歌詞を心の中でヘビロテさせながら、はねいぬのしたいこと、好きなこと、そしてはねいぬの幸福を探すのだ。
ログ11)
賢明な人はメイドが拭き取らなかったほこり、料理人が料理しなかったポテト、煙突掃除人が払わなかった煤などは、見て見ぬふりをする。と言って、その時間があってもこうした点を改善すり措置を講じない、と言うのではない。ただこう言うことを感情をまじえずに処理する、と言っているにすぎない。
はねいぬ思考)
気付いたことを言いたいけど、言えなかったり、言いにくくて時間がたってしまったりは、結構経験する。
その理由は、やっぱり感情だと思う。
「気づいたことは、相手に伝えるほどのことなのか」
「どんな言い方をすれば、相手が快く対応してくれるか」
「そもそも、この程度の些細なことを気にするのは自分だけなのではないか」
「言ったら、相手が嫌な気持ちにならないか」
などなど、地獄の思考ループに突入して、すごい疲れる。
感情を交えないでできれば、どんなに楽なんだろうか。
やってみたいな。
自分の感情が動いたことを自覚できればできるのだろうか。
自覚したら、感情なんてなくして伝えればよいのだろうか。
ちょっとずつ実験してみよう。
その実験は、また疲れそうだけど、それを超えれば疲れなくなると期待しよう。
ラスト・ログ12)
おのれの真実の姿に進んで直面しようとする態度には、あるの種のあきらめが含まれている。この種のあきらめは、初めのうちこそある程度の苦痛を伴うにしても、最後には、自分を欺く人の陥りやすい失望と幻滅に対する防御-事実ただ一つの可能な防御-を与えてくれるのである。
はねいぬ思考)
自己分析を冷静にして、変えられないことはあきらめる。
悔しいし、癪だし、なんかモヤモヤしたり、負けた気になったりするけど、その気持ちを冷静に分析して、その後の行動をクールに決められれば、後悔のない判断ができたり、合理的な判断ができそう。
そして、その判断の多くがさらっと諦められることだと、良いと思う。
悔しかったり、負けた気になるのであれば、諦めて受け入れてウジウジしないか、自分が悔しさや負けた気にならない程に、結果を出すためのエネルギを使うかを、判断すればよい。
そのエネルギを使うことに、コスパを感じなかったり、メリットを感じないなら、自分にとっては大したことのないことなんで、さっさと諦めてしまえば良いんだろうな。
