『考える力がつく本 本・新聞・ネットの読み方、情報整理の「超」入門』(池上彰著/2016年)を読んで出会えた本。
歴史の偉人本っぽく感じたけど、たくさん考えさせられた。
ログ6)
(広田さんは妻が)自殺したことは承知しているけれども、彼女が本当に死ぬ時は自分が死ぬ時だ、自分の胸の中に抱いて一緒に死んでいくんだ、ということでしょう。自分の胸の中ではまだ静子、おまえは生きているのだから、おまえに宛てて手紙を書くよ。そんな相思相愛の夫妻でありました。
はねいぬ1次思考)
自分の責任で妻が自殺を選んだのだから、という気持ちはあるけど、それはおいておいて。
妻のこと思う気持ちは、人それぞれだと思った。
「生きている」という表現は、生物的に生存しているという意味だけではないのだろう。
このような考え方は、相手を幸せにできそうだし、それ以上に自分を幸せにしたり、正気を保つのに役立ちそう。
はねいぬ2次思考)
それでも、とんでもなく強い気持ちがないと、実践することは難しいと思う。
最愛の人が、生物としての形が存在しないのだから。
自分ができるか自信はないな。
はねいぬ3次思考)
愛する人を自分より先に逝かせてしまったとしても、生前から「自分が死ぬまでその人も死なない」と考えて生きることは、リアル相思相愛になれそうなくらい、相手思いだと思った。
ログ7)
だけど中曽根さんは(作中で天敵とされていた)大江さんの本も読むべきでした。人間というものを大事にするというか、自分と合わない人間でも、その生き方とか生きている姿勢に興味をおぼえ、理解していく。それは必ず自分の戦力になっていくものです。
はねいぬ1次思考)
本当にそう思うことが良くある。
嫌いな人や苦手な人からのメールなどの情報は、斜め読みや深読みをしないので、全然頭に入ってこない。
というか、無意識に頭に入れる気がない、そんな気がする。
結果として、自分のフィルターを通していることで、有益な情報を自分の意志で逃してしまう。
はねいぬ2次思考)
逆にこの自分フィルターは、自分にとって都合の良い情報、というか自分が望んでいる情報はさらさら通してくれるので、世界が自分の思い通りになっているように錯覚する。
当然そんなことはあるはずないので、強烈なカウンターを受けることになるし、どうにもならないことに直面するとテンパるだけで、冷静さを失ってベターな行動に移せない。
はねいぬ3次思考)
このマイナス効果抜群の自分フィルターを、意図して外すことが必要だ。
多様な考え方を受け入れて、柔軟な対応ができるようになりたい。
理想としては、ゼロシステムのようなあり得る可能性全てを予測し、未来がどのような進み方をしても予測の一つとして先回りして対応できることだけど、そんなことは人類には不可能。
なので、寛大な心を持って、、、ともなかなかいかないので、好き嫌いという感情を無にして、自分に有益かどうかというドライな気持ちで、受け入れるのどうだろう。
ログ8)
そんな野上さんの素晴らしい老年の姿を拝見し、また拝聞しますと、強さにもいろいろあるとさっき申し上げましたが、つまり非常に騒がしい強さ、ギラギラするような強さがある一方で、実に静かな、いぶし銀のような強さがあるなあと思わされます。もちろん、私が惹かれるのは後者の方です。
はねいぬ1次思考)
はねいぬも、後者のいぶし銀のよう静かな強さにあこがれる。
そもそも、騒がしいのは苦手だし、ギラギラするのは面倒だし、どっちの行為も疲れるので、継続できなそう。
そして、騒がしいギラギラする強さは、リアルにその世界の1位以外は、ただの強がっているだけに思えてしまうから、認められている人の存在数は超限られている。
はねいぬ2次思考)
それに引き換え、静かでいぶし銀な強さは、自分の心次第で順位を気にしなくて良いし、自分にとっての格好良さで良いから、かなり楽。
好きなことを自分の好きなスタイルで、自分が満足してやれば良いならできそうじゃん。
もちろん、所属している企業や市場に合わせる必要はあるし、犯罪や迷惑行為は論外だけど。
その程度の束縛内であれば、十分楽しめるし、生きるためのお金も、周りよりちょっとは多めにもらえる気がする。
はねいぬ3次思考)
この静かでいぶし銀な強さは、「手に職」があることだと思う。
企業や社会の歯車であることは変わらないけど、その歯車としての重要性が高くなれると思う。
自分の好きなことを自分の好きなスタイルでずっとやってくることで、いつの間にか何かの分野でのエキスパートになれている。
そうなると、所属先は関係なくなり、どこに所属しようが、なんだかんだで収まることができる場所が見つかる。
自分の生き方を大きく変えないで、人並み以上のお金をもらえるなんて、結構良いと思うし、そうなりたい。
ログ9)(棋士の中原さんのお話として)
一局終えたあと、旅館の部屋へ戻って反省をする。そして自分の気付いたことを書いておく。ところが次の対極になって、いざ指し合っていると、反省点などすべて忘れてしまう。だから何気ないふりをしてスッと立って、トイレへ行くふりをして、あるいは廊下で伸びをしているふりをして、メモを見る。それでまた気を取り直して、ふたたび対局の席に戻る。名人がそんな一種、子供じみたことをする。
はねいぬ1次思考)
どんなに反省しても、いざいっぱいいっぱいになると、反省していた内容や、反省したからこそ対応の仕方を決めていたことを、忘れてしまうことは良くある。
名人レベルの棋士であってもそうなのであれば、はねいぬ程度であれば仕方がない。
大事なのは、中原棋士のメモの様に、反省を忘れたことを気づく術を持つことだと感じた。
はねいぬ2次思考)
反省を気づく術は、ケーズバイケースだと思う。
PC仕事中であれば、デスクトップのどこかにメモ帳を置いたり、極端であれば背景にするぐらいやっても良いかもしれない。
運転中であれば、反省Youtubeを作って流すとか、反省を思い出せる曲を流すとかだろうか。
そう思うと、自分の反省を思い出す術は結構ありそう。
後はやるかやらないか。
はねいぬ3次思考思考)
はねいぬ人生は反省ばかりだから、全部の反省を残すことは難しそう。
であれば、まずはこのブログに残すことかもしれない。
ということで、反省をブログに残そう。
ログ10)(足尾鉱毒事件での田中正造は)
「生意気は呆れる。利口ぶると損のみ。法螺はなおさら損のみ。」とも言っています。運動のリーダーとして、農民の生涯のことまで思ってやっているのです。
はねいぬ1次思考)
自信でも思い当たることが多い。
多すぎるくらい。
自分が効く立場では、まさに生意気に呆れて、利口ぶる発言をする人をスルーしたくなるのに。
人の振り見て我が振り直せ、だなあ。
はねいぬ2次思考)
自分がそう思われたくない、というか自分の些細な自尊心程度で損をしたくない。
言葉を選ばないといけないな。
そして、自分の発言に責任を持たないといけないな。
面白い人達や賢い人達と、人生楽しみたいし。
